〜三田村淳一Webサイト〜 【三田村家の歴史】 三田村家は400年以上続いているようです。 「ようです」とは、お寺の過去帳が昔 山津波か何かで流されてしまい、それ以前の情報が無くなってしまったようです。 うちは父親が7歳の時にお父さんが亡くなり、父親は病気がちのお母さんと一緒に田んぼをしてきました。 父親は満足に学校に行く事も出来ず、お宮さんの神主さんから字を教えてもらったようです。 母親が嫁に来た時は、既に父親のお母さんも亡くなっており、家には食器類も満足になく、食べるものも大変だったようで、父親は痩せこけていたようです。 そんな父親と母親は二人で苦労しながら田んぼをしてきました。 昔は今のように農機具もなく、馬で田んぼを耕し、その後 苗は手で植えていました。 馬小屋もありました。 父親、母親は共に田んぼしながら、別の仕事もして、家も建て、少しづつ農機具も買い、子どもを育ててくれました。 母親は料理が得意で、それで父親も元気になったようです。 お酒が好きで、一生懸命田んぼをしていた父です。 父が元気な頃は、私が田んぼ仕事では「下働き」。 田植えの時は苗を運んだり、苗箱を洗ったり、稲刈りの時は刈り取った籾を運んだりしていました。 その合間に父から農機具の扱いを叩き込まれます。 田植え機の向きを変える時、「ハンドル早く切り過ぎる!」 とか、トラクターで代掻きをする時「畔際は、スピード1でゆっくりいかんなアカン」と怒鳴られぱなっしでした。 いつも父が言っていた言葉はあります。 「機械ものは、ちょっと間違うと大怪我したり、命落としてしまう時もある。」 トラクター、田植え機、コンバインなどの農機具というのは、非常に便利なものですが、使い方を間違うと、大事故につながるという事を言いたかったのでしょう。 そんな父親も他界し、現在 父の跡を継いで、家内と二人で父親が生前行っていた栽培方法で米を作り続けています。
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